あめのて

活字を垂れ流す

「◯◯が可愛くて死にたい」は比喩じゃない

スポンサーリンク

「◯◯が可愛くて死にたい」といった表現を目にすることがある。
「可愛い」ものや人を見た時、出会った時に使われる表現だ。

主にネット上の書き込みで「アイドルの◯◯が可愛くて死にたい」「アニメキャラの◯◯が可愛くて死にたい」などという使い方をされている。

僕自身この表現を使うことがよくあるのだが、これってもしかして比喩だと思われているんじゃないだろうか。

可愛いの比喩

「かわいい」を表現するための比喩は溢れている。
それがどのくらい可愛いのか。可愛いとはなんなのか。
そういったことを表現するための、大げさながらも適切な比喩表現が、様々な元ネタから生まれている。

「可愛いは正義」であり、その事実に異論を唱えることはできない。
人道や論理など様々な観点の善悪が存在する世界でも、そこにたった一つの「かわいい」があれば、それが間違いなく絶対正義であり、何よりも正しいことなのだ。
法律や人情、全てに置いて「かわいい」に勝る正しさなどなく、「かわいい」で全てがまかり通る明確な正義。
僕らはそれだけを信じて生きていく。

ーーとは言うものの、それは飽くまで比喩である。

可愛いは正義であるが、どれだけ可愛くても法律を犯せば正義ではなく、否応なしに罰せられる。
まあ、感情的には許せはするが、どのような条件下でも正義などとは決して言えない。
だからこれは飽くまで比喩であり、「かわいい」とは素晴らしいことだ、という意味を表現しているだけに過ぎない。

そのような言葉は日本語を探せばキリが無いほど存在する。

しかし、「◯◯が可愛くて死にたい」は比喩じゃない

僕は本当に死にたい

少なくとも僕は「◯◯が可愛くて死にたい」を比喩として使ってはいない。
本当に、心から、死にたいと思ってこの言葉を使っている。

「それはお前だけだ」と言われてしまえば、自分以外の人に確認をとったことは無いから言い返す言葉は無いのだが、実際に僕と同じ感情の人が存在しなければ、そもそもこの言葉は生まれなかっただろうと思う。

僕は本当に、可愛い物を見たり、それに出会ったりしたときに「可愛くて死にたい」という衝動を覚える。
それは小さいながらも紛れもない自殺衝動であり、僕自身にとっては明確な自殺動機なのだ。

死にたい理由

では、なぜ「死にたい」といった衝動を覚えるのか。
それは、その人(僕)の無意識下で、他人が見たら呆れるようなくだらない連想ゲームがなされているからなのだ。

そこで、「かわいい」に出会ったときの無意識下の連想を視覚化してみようと思う。

かわいい

欲しい(自分のものにしたい)

自分のものにできない

たとえ自分のものにできたとしても他の誰かの目にも触れることは避けられない

そんなのは嫌だ。自分だけのものにしたい。

自分のものにもできずに、自分以外の人の目にも触れているなんて耐えられない。辛い。

死にたい

おそらくこのような連想が無意識化で繰り広げられ、「かわいい」と「死にたい」が繋がるのだと思うが、自分で初めて書いてみて、だいぶ引いた。
こんなに気持ちの悪い連想が繰り広げられているなんて、死にたい。
あ、巡り巡ってこっちの死にたいなのかもしれない。

きっとこの連想は僕に限らない。
この言葉を使っている人全員が同じような連想をしているのだと思う。願う。僕だけじゃないことを願う。

可愛いは罪

実は年間10万人を超えていると言われる日本の自殺者の中には、こういった理由で自殺に踏み切った人もいるのでは無いだろうか。
少なくとも、無意識的に自殺を考えた理由の一つになった人はいるはずだ。

そう考えると「かわいいは正義」であると同時に、大きな罪でもあるのかもしれない。
「かわいい」というだけで、間接的に人を殺すことだってできるのだ。

広告を非表示にする