あめのて

活字を垂れ流す

絶対悪だって必要悪だ

スポンサーリンク

らしくない時事ネタを導入として使うことになるが、最近やたらと暴力団絡みのニュースをよく目にする。
ニュースの内容について自分の考えを主張したりなんかは意味がないので避けるが、「暴力団」って具体的にどういうものなのかが気になったので少し調べてみた。

それでまあ、Google先生のおかげでなんとなくは「暴力団」という存在について理解ができた。
基本的には暴力を背景に不当な方法で利益を得ている集団のようだ。しかしその集団のおかげで成り立っている社会もあったりして、悪い奴らだけどいなかったらいなかったで困る人も多かったりして、色々な側面はあるようだ。

結局、僕自身はあまり興味を持たなかったのだが、調べている中でやたらよく目にした気になる言葉があった。

必要悪

必要悪という言葉。
なんとなく擽られる。
何がって、他に適切な表現も見つからないから抽象的な言葉を使うけど、中二心が擽られる。

間違いなく悪であり、敵対する存在だけど排除してはいけないみたいな。
そういった正義と悪の葛藤だったりとか。
大好きだ。
魔王は悪だけど、魔王を必要としている魔族がいて、魔王は人を殺すけど戦争だって必要で……あ、まおゆうだこれ。

問答無用で逮捕されたりはしないが、現行犯だったり証拠があれば確実に逮捕されるであろう暴力団にこの言葉が適切かどうかは怪しいが、必要とされている社会があることは確かだ。
「暴力団」が存在する社会より、存在しない社会のほうがデメリットが大きいのかもしれない。

だとしたら、現実社会で警察等によって問答無用で排除される存在は、必要悪とは言えないのだろうか。
つまり、明らかな犯罪者のことだ。
犯罪者は間違いなく悪であり、一時的にでも社会から隔離されるべき存在だ。
そんな彼等は必要悪と呼べないのか。

絶対悪

必要悪と反対の存在にある悪というのは、誰からも必要とされていない、全く持って存在する価値のない、絶対的な悪のことを言うのだろう。
ここではそれを、絶対悪と呼ぼう。

絶対悪は誰から見ても、どの角度で見ても、全く持って同情の余地もない、満場一致で「悪」と定義づけられる存在だ。
そういった存在はいつでも正義のヒーロの敵であり、ラスボスとして登場する。
絶対に排除しなければならない明確な敵であるから、子どもたちは全力で主人公を応援し、正義が勝つことを望むのだ。

そこでラスボスがちょっとした優しさを見せて、主人公の心を揺さぶったとしよう。
心優しい正義のヒーローは、絶対的な悪である敵が見せた優しさに、戦うことを躊躇してしまう。
そうして油断した主人公のスキを付いて、悪は悪らしく卑怯な手を使って主人公を出し抜くのだ。
それを見た子供達は、きっと安心するだろう。
ああ、よかった、やっぱり敵は悪だった、これで遠慮なく正義のヒーローががラスボスを倒すことを応援できる。

そういった展開の作品を今までどれだけ見たことか。
絶対悪はいつだって悪で、最後の最後まで悪で、誰からも恨まれる存在でなければいけないのだ。
だからこそ、誰しもが正義のヒーロを応援し、心を一つに作品に感情移入することができるのであろう。

必要悪と絶対悪

絶対悪がいないと物語が成立しないし、正義のヒーロが暇人になってしまうから絶対悪が必要だ、なんて屁理屈を言おうとしているわけではない。
それはゲームやアニメ漫画の話だ。
そういった作品に登場する悪は、いつだって絶対悪であり必要悪だろう。

しかし僕は、現実世界に存在する悪も、いつだって必要悪だと思うのだ。

犯罪者や、彼等が犯した犯罪を肯定するつもりは全くないが、僕はそれらの全てを必要悪だと思っている。
警察の仕事がなくなるからとかそういうことじゃない。
警察は犯罪がなくても仕事があるし、給料ももらえる。
犯罪が起こらないに越したことはない。

僕が言いたいのはそういうことじゃなくて、まあ綺麗事のような言葉で言うなら、犯罪者だって人間だってことだ。
犯罪者が犯した犯罪は、本人にとっては必要だったはずだ。
そしてそれが完全に自己欲求のためだけだとしても、犯罪者に共感できる人も誰かしらはいるだろう。
また、犯罪者も人の子だ、親がいる。
きっと他の誰かにとっては必要な存在だったはずだ。

誰から見ても、どの角度からみても、否応なく同情の余地もない「悪」というのは、現実世界には存在しないと僕は思っている。
それこそ、ゲームやアニメのラスボスのような明らかな「悪」というものを、僕は現実世界で見たことがない。

空想の世界の悪は絶対悪であり必要悪である。
それに対し、現実世界における悪は全て、必要悪だが絶対悪ではないのだ。

絶対悪だって必要悪だ

犯罪は世間から見たら間違いなく悪で、被害者にとっては絶対的な悪なのかもしれない。
しかし、ニュースで報道される犯罪を見ていると、僕はあれを悪なんて言葉で表すのは大それたことのような気がする。
ほとんどが、幼稚な頭の悪いやつの起こした災害的な事故に思える。
僕が見えている世界が狭いのかもしれないが、僕が目にする犯罪は僕が考える悪とは大きく違う。
犯罪者のまわりの環境などから、いくつもの偶然が重なって起きたくだらない天災のようなものだ。
それでも被害者は犯人を憎む以外に方法がない。
憎むべきは犯人だけじゃ無いことはわかっていても、それしかなく、それにすがるしか無いのだ。
一生犯人を憎み続けても意味がないことは、はっきりわかっていても。

僕達にとって、最も明確な悪といえば、やはりゲームやアニメ漫画に登場する敵である。
もしくは、悪の秘密結社みたいな実態のない巨大組織だったりする。
理由もなく、誰のためでもなく、ただただ悪意のみを持って悪事を働くような、そういう存在である。
当たり前だが、現実世界にそんなものは存在しない。
それを僕達は常識として、感覚として知っている。
そういった明らかな絶対悪は、本当に空想の世界にしか存在せず、現実にある悪は幼稚な犯罪ばかりだと。
だから僕達は、空想の世界に絶対悪を求めるのかもしれない。

僕達は現実世界で上手く行かないことがあると、なにかを責め立てることがある。
すべてアイツのせいだと。アイツのせいで何もかも上手くいかないんだ、アイツさえいなければ、と。
その対象は親だったり、仕事の上司だったり、犯罪者だったり、会社だったり、国そのものだったり、世界だったり、宇宙だったり、ユダヤ人だったりするだろう。
そういった何かに、自分の不満の責任を押し付けることで正常な精神状態を保とうとする。
そうすることで人は救われ、まともでいられるのだ。

それでもやはり、僕達は馬鹿じゃないので、それらに責任を押し付けたところでどうにもならないことを本当は知っている。
だからといって、誰も悪くないのに、どこにも悪など存在しないのに思い通りにならない現状を受け入れる勇気はないのだ。

人はときに宗教にそれを求めたりする。
何かを憎むのではなく、何かを信じることで救われようとする。
偶像崇拝は存在しない悪に責任を押し付けることより、よっぽど健全な精神安定剤といえよう。

だけどやっぱり、僕達は、僕は馬鹿じゃない。
僕はそんな簡単に何かを信じることができないし、それで救われると信じこむことなんてできない。
何かを信じるより、何かを憎むほうが簡単なのだ。

どこにも悪など無い。
怒りをぶつける正しい対象なんて存在しない。
存在しないものを信じ崇めることもできない。 それなのに真綿で首を絞められるようにじわじわ訪れる不安を、何かのせいにしたくて仕方がないのだ。

ああ、絶対悪さえあれば。

空想の世界にあるような、明確な悪が存在すれば、僕達は迷わずそれを憎むことができ、恨むことができ、きっと救われるはずなのだ。
全てこいつが悪い、なにもかもこいつのせいだと、疑いなく言える存在がいれば宗教に溺れることも、犯罪者を憎むこともなくなるはずなのだ。

絶対悪が欲しい。

僕達には絶対悪が必要だ。

絶対悪だって必要悪だ。

広告を非表示にする