あめのて

活字を垂れ流す

「学校の先生になりたい」やつを僕は軽蔑する。

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教職員、所謂「学校の先生」は、小学生のときからずっと「将来の夢」に挙げられる常連だ。
学生にとって「学校の先生」は最も身近な職業の内のひとつであり、なりたい職業のランキングに常に入っている。

その理由としては、憧れの先生がいたり、中の良い先生がいたりして、その先生の様になりたいというのがほとんどの理由だろうか。
僕は「学校の先生」という職業に就いている人間のほとんどが嫌いだったが、中には好きな先生もいた。
尊敬できる先生もいた。
その先生の様になりたいとも思ったこともあった。
だからその気持ちは分かる。
憧れる「学校の先生」を目指したい気持ちは分かる。

だけれど僕は「学校の先生」になりたいと言うやつの気持ちを全く理解できない。

申し訳ないが、判断力や想像力、観察力などが一般人と比べ大きく欠けているのかと疑ってしまう。
少なくとも、僕とは全く違う考えを持った、絶対に理解し合うことのできない人なのだろうと思う。

前途した通り、「学校の先生」は学生にとって最も身近な職業であり、殆どの日本人が深く関わりを持ったことのある職業だ。
だからこそ、僕達は「学校の先生」という職業をよく知っているはずだ。
毎日職場見学をしていたようなものなのだから、経験をしたことのない職業の中でも、とても詳しく知っている職業のはずなのだ。
それがどの様な仕事であるのか、ある程度の観察力や想像力があれば、その職業の全貌が見えるはずなのだ。
それなのに何故、ここまでこの職業について理解しておきながら、それでも「学校の先生」になりたいなどと言い出すのだろう。
それはもう、やはり想像力や観察力が大きく欠けているとしか思えない。

もしかしたら「学校の先生」になりたいと言っている奴は、とくに深く考えず無難な答えの代表としてそう言っているだろうか。
特に将来の夢なんて無いし、考えるのも面倒くさいし、できるだけ無難なつまらない答えを言おうと「学校の先生」などと答えているのだろうか。
それならまあ、ある程度納得はいく。
いや、そうでも無いと納得はいかない。
どちらにしろ、その答えを発言する前に、その職業がどんなものなのか想像する力に欠けていると思うが、思考停止でそう答えているのならまあ、仕方ないだろう。
きっとそうだ、みんな思考停止で無難な答えを出しているのだ。
そんな人が殆どなので、常に将来の夢ランキング常連なのだ。

しかしだ。しかし、将来の夢に「学校の先生」と答えた人の中で、本当に「学校の先生」になってしまう人がいる。
あいつらは一体どういうことなのだろう。
僕が今まで出会った「学校の先生」の中にも、「学校の先生」になりたくてなったという人がいた。
ということは、やはり「学校の先生」に心からなりたい人がいるのだ。
信じられない。
やはり軽蔑してしまう。

僕にも好きな先生がいたと言ったが、そういえば僕の好きになった先生は、気づいたら先生という職業になってた、というような人だった。
決して「学校の先生」になりたくてなったわけではないらしかった。
だからきっと、僕はその先生と仲良くなれたのだろう。

僕はそもそも「学校の先生」が嫌いだ。
いや、厚すぎるオブラートに包んで言うのはやめよう。
僕は基本的に「学校の先生」が大嫌いだ。

僕が「学校の先生」を嫌いな理由は間違いなく、彼らが「学校の先生になりたい」などという、軽蔑に値する人物達だからだろう。
そんな彼らと僕は、やはり理解し合うことができない。

軽蔑の理由

僕が主張したかったことはこれで全てだが、もしかしたら僕の言っていることが全く理解できない人もいるかもしれないので補足を書き足しておこう。

僕としては、全く言及する必要が無いと思うが、世の中には想像力や観察力が大きく足りない人種も存在することも僕は知っているので、そんな彼等のための補足だ。

なぜ「学校の先生になりたい」やつを僕は軽蔑するのか。

理由はいくつかある。

たとえば生徒に影で悪口を言われていない「学校の先生」を1人でも知っているだろうか。
僕は知らない。
どれだけいい先生でも、どれだけ優しい先生でも、どれだけ多くの生徒、学生に好かれている先生でも、必ずどこかで何人かの教え子に、影でとんでもない悪口を言われている。

自分の教え子全てに完璧に目を通すことは絶対にできない。
全員の事を完璧に理解して完璧に対応することなんてできない。
ひとりだってできないのだから当たり前だ。
自分の教え子のどこかで、自分が絶対に見つけるべき問題を見つけることができない事のほうが多い。
自分だけが知らなくて、自分の教え子全員が知っていることがあるかもしれない。
それは自分が絶対に知らなくてはいけないことかもしれない。
自分が全員に否定されているかもしれない。

教師は教え子を選ぶことができない。
たとえ僕のような生徒でも、別け隔てなく接しなければならない。
僕だったら御免だ。こんな教え子。

自分の何気ない一言が子供の一生を左右することがある。
その可能性が非常に大きい。 blog.amenote.net その責任を負えるのか。

「学校の先生」になりたいやつが尊敬する先生は、誰にも嫌われてなかったのか。
その先生が色んなところで悪口を言われているのを知らなかったのか。

「学校の先生」がどれだけ意図しない責任を負う仕事なのか想像ができなかったのか。
その責任がどれほどの人たちに、どれほどの影響を与えるかを想像できなかったのか。

自分の教え子が将来ブログにこんな記事を書いたりすることが想像できないのだろうか。
「学校の先生」という存在が、僕達が一生で関わる人間の中でもどうしても大きな存在になってしまうことが想像できないのだろうか。

僕は想像してしまう。
想像した結果、僕には無理だと思う。 自分が望まずに直接関わった人間に、それほどの大きな影響を与える勇気など無い。

しかし、そこまでわかっていても、理解しながらも、それでも子供に教育を行いたいという強い意志のもと「学校の先生」という職業を選んだのであれば、それはそれで尊敬もできる。
素晴らしいと思う。
ぜひ自分の意志を貫いてくれ。

僕は軽蔑するが。
それをなんとも思わないやつなのだろう。